夕刊フジ[2008年10月31日付] 企業戦略ウォーズ
食の安全に挑む(1) 「アグリポピュレイションジャパン (上)」の山根紹介部分より

山根は神奈川県で生まれた。生家は農業とまったく関係がなかったが、玉川学園高等部時代の実習で農業と出会い、魅力に取りつかれた。「俺がやったら儲かるものになる」と思ったのだとも。19歳のときに北海道へ。帯広畜産大学の天間征教授に師事し、佐藤牧場で酪農を実習。やがて結婚。夫婦でがむしゃらに働き、函館近郊の大沼で 1,500頭もの肉牛・乳牛を飼う牧場主になり、5人の子供にも恵まれた。

多忙だが十分に幸せな生活を送っていた山根に転機が訪れたのは20年ほど前のこと。 暖かい湘南で育った山根は、冬場でも新鮮な野菜を食べていたが、北海道ではそうはいかない。そこで、小さい子供たちにいつも新鮮な野菜をたべさせてやりたいという思いが湧いてきた。 最初はふつうの‘土耕栽培’を試したがうまくいかなかった。思い立ったのが水耕栽培。「これなら寒い北海道でも野菜ができるかもしれない」。実験を始めたときには、まさか牧場をやめてまで水耕栽培にのめりこむまでになるとは夢にも思わなかったという。

「水耕を思いついてからの3年間で何百回も失敗したが、あるとき牛の胃袋と野菜の根が同じ働きをするのじゃないかと思い至った。植物繊維の分解吸収に欠かせない胃の中のバクテリアは40度で最も活動がよくなる。とすれば、養液を分解する植物のバクテリアには何度が適してるんだろうか。北海道と沖縄で何度も試験を繰り返して最適な温度を探り当てた。

以来、ヤマネ式の循環養液は1年を通じてほぼその最適温に保っている」。このように、山根氏の水耕栽培は、既存の理論や技術ではなく、すべてが自らの実験と経験に基づいている。だからこそ、20年の歳月があっという間に過ぎたのである。