食の安全が叫ばれるようになって『有機農法』の人気が高まっています。もちろん、農薬漬け・化学肥料漬けの野菜に比べた場合により良い選択であることには違いがないのですが、天候の影響をもろに受ける露地野菜である以上、供給はある程度不安定にならざるを得ません。また、酸性雨の問題はどうするのか、外国産の配合飼料や抗生物質を与えられる家畜が多い現状において畜糞由来の有機肥料が本当に『無農薬』『無抗生物質』と云えるのか、という疑問も残ります。
さらに、健康の基礎ともいえる野菜を供給するのであれば、基礎的な野菜はある程度カバーするのが望ましいと思います。
わたしたちが『野菜メーカー』をめざす理由はこうしたところ、つまり『供給の安定』『安全』『多品目提供』にあるのです。言い換えれば『量と安心と品目の確保』ということになります。
365日、品質が保証できるものを同じ価格で安定的に提供できなければ『産業』として成り立たない。大切な農業生産者もさらに減ってしまう。結果として、流通・飲食・消費者もさらにつらくなる。こうした状況を何とか改善しようとの思いから、当社は野菜づくりを産業にするための‘野菜メーカー’をめざしているのです。
総務省統計によれば、2007年の就農人口は 30年前(1977年)のおよそ 40%(!)、3,119,000人。 うち 60歳以上の高齢者は 68.7%、平均年齢はおよそ 59歳に達しているといいます(※)。
60歳以上の人が7割近くもいるということは、とりもなおさず後継者が不足しているということです。国の最重要産業である農業の担い手がいなくなるということです。こうした、産業としての 農業の魅力喪失は、全体としての消費・流通サイドが、少しでも安いもの、見映えがいいものをと 選んできた結果にほかならないのではないでしょうか。
もう黙ってみているだけではダメです。 不安と安全を声高に叫ぶだけでもダメです。 さまざまな立場、ポジションの人間が具体的なプランを提示し、 企業と行政がそれを実施していくしかないのではないでしょうか。
こうした現状に鑑(かんが)み、わたしたちは、次世代のため、都会の企業に勤めるような感覚で農業に従事できる環境を提案します。そして、その普及・拡大に努めていこうと考えています。
安全かつ安定的に内国食材を供給する社会の基盤が崩壊する前に、都会の企業に勤めるような感覚で農業に従事できる環境を、次代に残す --- これを考えるのが現代を生きる私たちの役割ではないでしょうか。
『百年野菜』が描くのは、温室という快適な職場で、光合成による新鮮な酸素を吸いながら無農薬の植物を育て、収穫し、消費者やお店にとどけること。そんな「野菜メーカー」でいきいきと働く若者たちの姿です。
※エクセル統計表はこちら
※農林水産省の「農業センサス」でも、就農人口は減少の一途。
2005年の調査では 334万人、65歳以上が 58% に達しています。
コラム --- 開発者「山根正義」から
産地では、米をはじめとして、ジャガイモ・たまねぎ・キャベツ・レタス等々、単一作物の大規模栽培が一般的です。でも、人間、若いときは飽きっぽいものです。毎年々々来る日も来る日も同じ仕事の繰り返しというのは辛くないでしょうか。しかも、価格競争が厳しすぎて利益はいくらも残らないのです。天候による全滅も豊作貧乏もあります。ここ40年の就農人口の推移は、そうした農業が限界にきたことをはっきりと示していますね。
百年野菜の姫路工場では、常時15種以上の葉菜・果菜を栽培しています。単品栽培じゃないので、なかなか飽きません。また、飽きないだけじゃなく、不作豊作による市場価格の変動に一喜一憂することもありません。量や価格が安定的であるということは、流通・飲食業の助けにもなると思うのです。
これまでの考え方では、もう農業はやっていけません。新しい理念と手法で次代を切り拓いていくしかありません。たとえば後継者の育成問題。米の場合、経験を積みたくても作付け機会は年に1回ですし、天候不良だと損失が出ます。水田保全の問題は別として、ヤマネ式水耕で米を作れば3期作も可能ですから、3年で9回の経験が積めるわけです。
求められているのは、革新ではなく革命的な変革ではないでしょうか。循環養液栽培は、土壌管理の必要もなく生育管理が比較的容易。酸性雨、天候等の外部要因の影響を受けにくい手法です。すべての野菜に同じ養液を使用し技術的なハードルも低いので、農業の素人でも安定経営が可能なまったく新しい農業スタイルといえます。